2009.07.06 戦争の話
 軍オタ旅行に絡めて、リアルで聞いた戦争の話。
 母方の祖母は戦時中は点々と疎開を繰り返していたけど、空襲は何度か受けたそうです。「家中の全部の部屋に焼夷弾が落ちたけど、仏間にだけは落ちなかったで」って言ってたなー。あと、本当はうちの母親を含めて6人の子供がいたけれど、うち4人は戦時中に赤痢や栄養不良で亡くなって、残った子供は昭和18年に生まれた伯父と、昭和22年に生まれたうちの母親だけだったとも言ってました。疎開先(多分名古屋のどこか)で夜、二階の窓から遠くに見える空襲の景色が、まるで花火みたいだったって言っていたのがとても印象的でした。数十キロ先で起きている出来事に対して、生々しいリアリティが感じられないっていうあの感覚が逆に生々しくて、自分で見た景色でもないのに今でも脳裏に浮かんできて、不吉なんだけど懐かしい景色。祖母は穏和な人で、まず戦時中に反戦を叫ぶタイプではありませんでしたが、後年「淡谷のりこさんが好き。あの人は戦時中にも堂々と英語で歌ってた」って言っていたくらいだから、本心では当然反戦派だったろうと思います。戦争が終わった時の感想は「これでやっと電気を点けて、お風呂に入れる」。同じく祖父は、アニメでも映画でも戦争を取り扱ったものは徹底的に「見たくない」と拒否(しかし孫であるわたしたちが見たいと言えば見せてくれた)。旅行に誘っても「飛行機だけは絶対乗りたくない」というのは、戦時中に「これ、エンジンも竹でできてないか?」みたいなすごい試作品に無理矢理載せられたから。やはり祖父のほうが、戦争に関するPTSD的な反応は大きかったように思います。空襲で焼け死んだ人のご遺体を、リアカーに載せて家まで届けてあげたんだけど、首と胴体が違う人のもので、改めて探しに行った話などは強烈だった。
 ちなみに父方は、早くに祖父が亡くなっているため祖母しか残っておらず、こちらにもわたしは突撃取材を繰り返す面倒な孫だったわけですが、こちらの祖母は「戦時中は食事がイモばっかりだった!ヽ(`Д´)ノ しかも昔のサツマイモって、今みたいに甘くないのよ!! ボソボソしてるの!!ヽ(`Д´)ノ」ってちょう怒ってた。結構よく話したはずなのに、他に戦争話の記憶がないのはなぜなんだって、それは多分父方祖母がイモの話しかしてくれなかったからという気が……。あ、でもルパン三世の銭形警部を見て「この人はどんな目に遭っても死なないから好き」って言ったから、やっぱり死に対してはナーバスなところもあったのかな。と言いつつ、実は単なる銭形萌えだったらどうしよう。すでに亡くなっているので確かめようがない。わたし、父方の祖母に似てる気がするんですよね、性格とか……。母方の祖母だけは存命なのですが、90才近くなってから会話ができなくなってしまって残念です。四年くらい前までは、わたしの部屋に泊まりにきたりしてたんだけどね。
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